2010 年に東京で設立されたKUROは東京のダイナミズムなエネルギーと岡山の高い職人技を融合させる役割を果たすために設立されました。 共存の架け橋となる様に... 

日本人の瞳や髪の色である「黒」をブランド名とし、黒紫、漆黒、黒色、黒鳶などの言葉に内包された日本語の「黒」が持つ繊細さをコンセプトにコレクションを展開。

WEAR THE CULTURE
文化を着る

日本はパラドックスとコントラストの国であり、私たちの文化はまるで毎回異なる色合いになる万華鏡のようです。 

技術の進歩が容赦なく進む世界でも、古い伝統を常に尊重し、古と新が調和してい るのが特徴です。

メイドインジャパンを超えて

コレクションの一つ一つには、「Made in Japan」の本質が息づき、繊細なバランスを感じることができます。伝統と革新、永遠性と現代性、そして普通な中に秘められた非凡な職人技それは“意図せずに”気取らない普遍性を追求しています。

日本流のデニム作りは、「ものづくり」という言葉で構成された物語であり、独自のものづくりの精神である。私たちが創り出す製品自体を単なる製品とは捉えず、私たち自身の一部とし、文化を反映し、 環境への尊重を表しています。    

そして私たちのラグジュアリーへの理解は、美的感覚や素材にとどまらず。最高品質のテキスタ イル、ミニマルなデザイン、丹念に作り込まれた衣服に内在する、言葉に表せないエレガンスを私たちは信じて旅をしています。 

私たちのコレクションは、控えめな洗練とモダンなライフスタイルというこの哲学を融合させ、 今日の社会を形作る視点、アイデア、価値観を反映したデザインに仕上げています。 

JAPANESE CRAFTMANSHIP
IS A LIFELONG ARTISTRY
WITH INTENSE FOCUS


AND SOLITUDE

KUROのデニムの製造工程を見る

WEAR THE AUTHENTICITY
本物を着る
「 本当に自由だと感じたのはいつ以来だろう? 」

デザインプロセスのすべての段階が、東京のダイナミズムを反映しています。 テンポが速く、切実であり、内なる咆哮を声高に宣言している。

しかし、ミニマリズムの美学は、他者を尊重し、2つの極端な生き方のパラドックスの中に静寂を見出すという、日本人の真髄ともいえる原則を支持している。

この理念が、私たちのデニムへのアプローチを形作っています。 海沿いの小さな町、児島に、私たちの職人の伝統のルーツがあります。

ここでは、熟練した職人たちが代々受け継がれてきた織りの遺産を受け継いでいます。彼らの熟練した手は、年季の入ったシャトル 織機に生命を吹き込むことができる数少ない職人の一人です。 現代の織機は、デニム生地の大量生産を追求するために、速さと効率を向上させています。しかし、岡山のデニムメーカーは、卓越 性を求めています。そして、KUROのデニムも同様です。私たちの クリエーションの一つ一つは、持続可能性を選択肢とするのではなく標準となる未来に向けて、永続的な価値を持つデニム素材を築くことでの私たちの貢献にあたると考えています。

真の自由とは、ある時点のことではなく心の状態のことだ。

性別という二分法を超えて、私たちのデザインは人間のアイデンティティと相互のつながりの複雑さにインスパイアされています。
それは男であることでも女であることでもジェンダーレスであることでもなく、人であることの意味を表現することです。私たちが共有する経験、喜びや悲しみ、挫折や勝利の瞬間を認識すること。洗練されたもの、不完全なもの、調和のとれたもの、逸脱的なものを受け入れること。
日本人の生き方 “侘び寂び “のように... 
それは、私たちが共有した経験、その瞬間を認識することです。
喜びと悲しみ、挫折と勝利。
それは、洗練されたものと不完全なもの、調和のとれたものを受け入れることです。
そして反逆者。

単純さと不完全さを併せ持つ、日本の流儀と同じです。
人生――「わびさび」。 (侘び寂び)

そしてKUROは、個性を表現するキャンバスとなり、アイデンティティが定義されることも閉じ込められることもなく、その限りない多様性を讃える場となります。履き心地、耐久性が抜群のデニムは、履く人を形成する為に作られるのではなく、履く人の真の姿に適応し、進化し、共鳴するために作られる。かつては平凡だったものが、身につけるたびに非凡なものとなる — ユニークで時代を超えた卓越した体験を反映する。 KURO を身につけることは、自分自身のユニークなアイデンティティを受け入れ、 それぞれの歩みを大切にし、絶え間なく変化する世界の中で自分自身に忠実であり続けることである。

KUROを着るということは、自分らしさを大切にするということ。
それぞれの旅路、そして世界の中でも自分自身に忠実であり続ける
絶えず変化するもの。

それは自由への呼びかけであり、自己表現と自己受容の自由である。